【調べたら少しわかった】南砺市福野の歴史 1.普願寺と栖息松 ~ふくの街あるきより~

  • 2021年4月2日
  • 2021年4月4日
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南砺市福野地域の至る所にあるこんな看板

ふくの街あるき

の1番から順番に巡ったことを記事にしています。

 

これまでの記事はコチラ↓

ふくの街あるきをしてみた#1

ふくの街あるきをしてみた#2

ふくの街あるきをしてみた#3

 

福野の名所?と思われる場所に行ってみたが、それはなんなのか、どう重要な場所なのか・・・

よくわからなかったので、調べてみました。

 

参考文献:福野町史等

【調べたら少し分かった】1.普願寺と栖息松

栖息の松碑 ふくの

街あるきでは、

栖息の松については現地に説明書きがあり、近くの普願寺とは密接な関係がありそうだとはなんとなく分かりましたが、

その関係性について町史に詳しく乗っていました。

 

普願寺と栖息松(福野町史P708~709)二日町410、真宗大谷派

開祖は二日町の浄春で本願寺の綽如が越中へ出向したときに弟子になり、一寺を建てたと伝わっている。

もともと、栖息の松付近が寺屋敷だった。元中6年(康応元年)綽如が京都から加賀を経て野尻に滞留、それより井波へ下向のおり、記念として植えたもの。

枝葉は世々に栄え宗門のますますの発展することを祈念して、この称がある。

普願寺の紋「一つ松葉」もこれに起因するという。

明治時代に暴風で倒れ、その後も火災に遭い、枯れ木となってしまったので、根本を約2m残し、屋根を作って保存している。

安永2年7月、浄意(十三代)が、この傍に石碑を建てて上人の遺徳をしのび、瑞泉寺十四代超継(俳号蘭台)に「綽如上人栖息の松」の碑文を乞い、石は桐木村の丹羽権兵衛より寄進を受けた。

その子浄慶(俳号魯雲)は、詩文・俳諧に秀でて地方の著名な人々と交わり、たびたびここで句会を催した。

寛政9年2月、芭蕉の句碑を建てて、碑面には

「僧朝顔幾死かへり法の松」とあり、蘭台の子、冬日堂菩山(遍祐)が記したものである。

 

 

 

 

町史の内容をほぼそのまま載せています。

 

疲れたので今日はここまで。

分かったことをちょっとずつ書いていきます!

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