【調べたら少し分かった】南砺市福野の歴史 3.富山紡績とレンガ建て工場 ~ふくの街あるきより~

D 森田茂作

南砺市福野で見かけるこんな看板↓

ふくの街あるき

の、1ばんめから順番に巡ってみたという記事を書きましたが、

それはいったい何なのか、有名?歴史的っぽいけど、どういうところなのか。。。

疑問に思ったので、調べてみました。

ふくの街あるきをしてみた#1

ふくの街あるきをしてみた#2

ふくの街あるきをしてみた#3

 

 

今回調べた文献は、南砺市井波図書館にある、「呉羽紡績30年」という本です。

 

南砺市図書館にある本は、HPで検索して予約し、最寄りの市立図書館で受け取ることができます!

 

この本も、井波図書館にある本ですが、福野図書館で受け取り借りました!!(便利!)

 

富山紡績

富山紡績の跡地は、現在更地になっていて、

わらび学園と福野青葉幼稚園があるのみです。

しかし、この場所も、街あるきポイントになっています。

呉羽紡績 富山紡績 福野

こちらの写真は、南砺市HPのなんとeマップより引用しています。

 

(「呉羽紡績30年」より)

富山紡績は、大正10年に創業されてから、長い間困難にあったが、

従業員はみな質実剛健でよく会社の規則を守り、

業務に力を尽くし精を出してあらゆる困難に打ち勝ち、もって会社の礎を固め、

発展に次ぐ発展をもたらした。

昭和6年井波工場を増設し、昭和8年には紡機150,000スイ、織機1,300台、

従業員2,000人余りを持つようになった。

ーーーー

砺波の土地は、田畑や野原が広く、人口が多い。福野町はその中心に位置を占めて、交通の中心である。

事業をおこすにはまさに適したところである。

富山紡績がこの土地に生まれて栄え、県内に紡績事業が起こる機運を導き出したことは、

まことに自然の理にかなって大いに愉快なことではなかろうか。

 

 

土地の理、人口、交通、平野の広さなど様々な好条件が重なった場所、

それが福野町であったとのことではないでしょうか。

 

 

しかし、そんな富山紡績も、呉羽紡績になる時が来ます。

 

呉羽紡績

昭和9年、富山紡績は、呉羽紡績に吸収合併されます。

呉羽紡績 井波工場

こちらは、呉羽紡績井波工場の航空写真です。

今の東洋紡績の場所に、三角屋根が見えます。

 

森田茂作

福野の産業文化会館の横に、森田茂作さんの碑があり、こちらも街あるきのポイントになっています。

森田茂作翁碑

この森田茂作さんは、呉羽紡績井波工場の役員をしておられた方のようです。

森田茂作

富山紡績から呉羽紡績になり、その後の発展に尽力された方のようです。

「呉羽紡績30年」には、森田茂作さんが寄稿された文が紹介されていますので、

もしよかったら井波図書館で借りて読んでみてください。

 

ちなみに、「呉羽紡績30年」は、

こんな感じでカタカナが多く、文面がレトロです。

 

少し読みにくいですが、この独特の文面を、じっくり読んでみるのも面白いです!!

 

森田茂作
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