令和5年「福野四つ角人寄せ石フェスタ」(福野の夜店)が開催されます!

 

 

 

どもー、★まぶりー★っっす!!

 

 

 

またまたイベントの紹介ですよー ^^

 

 

 

 

 

 

皆さん、このイベントご存じですか??

 

その名も、「福野四つ角人寄せ石フェスタ」

 

不思議な名前ですよね ^^;

 

 

 

 

でも、むかーしむかしから、続いてきている、通称「福野の夜店」

 

いつ頃のむかしなの??

って言われると、間違いなく40年前にはやってたので、そのまだ前から…。

 

福野の市よりは、歴史は浅そうだけれど、長ーい歴史があるイベントなんです!!

 

 

 

昔からやってるイベントってことはわかったけど、

「人寄せ石フェスタ」って、なんなんよーーって方、多いと思います(いやほとんどかな…)。

 

 

 

 

ググって、調べてみると・・・

 

昭和7年、野口雨情が福野へ来て夜高節新歌詞を5首作った。その中に、「福野四つ角 人よせ石は ひるの日中も寝てばかり」という詞がある。
野口雨情が福野を訪れた当時は、この詞のとおり、人よせ石が銀行四つ角に人よせ石があったと考えられる。
現在は、福野神明社の拝殿に向かって左の本殿前の玉垣の下にある。

 

とのこと。

 

 

うーん、人寄せ石が四つ角にもとはあって、それがいつの日か福野神明社に移動した…ってことはわかりますが、

なぜ、人寄せ石なるものが、崇められているのかまではわかりません。

 

何か事情があって、銀行四つ角の場所に人寄せ石があったのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

ここからは妄想です・・・

 

 

むかーしむかしのこと。

福野は、通りには多くの店が並び、人が溢れ返る「市」が盛んでした。

 

しかし、四つ角に人があまり集まらなくなった時期がありました。

多くの人が謎の病に倒れてしまうという事態が起きてしまったのです。

 

そうなると、多くの人が行き交う「四つ角」から足が遠のきます。

 

仕方ありません。

しばらくは、皆大人しく過ごしていたのでした。

 

 

が、そうも言ってられません。

「市」がなければ、多くの種類の食料を手に入れられないし、近所付き合いが億劫になり、皆、希薄な関係になってしまいます。

 

 

そんな折りに、有志たちが立ち上がったのです。

 

病は怖くないと言ったら嘘にはなるが、それよりも失うものが多すぎる。

 

「行動しよう!」

 

 

しかし、有志たちが「もう病を恐れず、皆行動しようぞ」って叫んだところで、誰もついてはきません。

 

 

そこで、何か奉る「シンボル」があれば良いのでは?とのことで、

人が集い、昔のように活気のある四つ角にしたい!という思いを由緒正しきところに伝え、その思いが通じ、いただいたのが「人寄せ石」なのでした。

 

 

そして、四つ角に「人寄せ石」をシンボルとして飾り、有志の心意気も通じ、地元の皆もオモテに出てくるようになり、活気を取り戻していきました。

 

これが由来なのです。

 

 

 

 

 

 

コロナ禍はもちろん、地域の衰退からの脱却には、「シンボル」があるというのが大事なのかなぁ…。

ブレない何か…。

 

福野のマチナカ、福野全体、南砺市がずーっと元気でいるように、皆で行動していきましょう ^^

 

 

 

 

 

最新情報をチェックしよう!