小牧ダム 行ってきた

  • 2021年9月2日
  • 2021年8月30日
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D 小牧ダム

みなさん、こんにちは

先週、道の駅たいら&五箇山和紙の里にいってきたと紹介しました。

その帰り道に、砺波市庄川にある小牧ダムに立ち寄ったので紹介します。

ダムの記事はコチラもご覧ください。
南砺市のダムまとめ

 

先週の記事でも紹介しましたが、南砺市福野から平に行く時は、3つルートがありまして、

城端を経由してR304で行く方法

能越道(高速道路)を通って上平経由で行く方法

井波・庄川を経由してR156で行く方法

の大きく3パターンがあります。

道の駅たいらからの帰路は、庄川から帰ってきました。

その道の途中に小牧ダムがあったので、立ち寄ってみました。

 

小牧ダム

場所:〒932-0304 富山県砺波市庄川町小牧

 

ダムの種類:重力式コンクリート

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昭和5年に完成した小牧ダムは、当時「東洋一のダム」と謳われていました。

その姿は、昭和初期に完成したとは思えないほど重厚で、70年以上経った今でも美しい姿を見せています。

そしてダムとしては日本で初めて国有形文化財に登録されました。

ここは日本の建築技術の一時代を築いたダムとして、ぜひ見ておきたいダムのひとつです。

富山観光ナビHPより

 

小牧ダム建設にも物語があったようです。。。

その昔、庄川にダムが出来る前は、川の流れを利用して、山で伐採した木材を下流に運ぶ産業がありました。

庄川流域の有力な木材業者「飛州木材」は1925年、木材流送ができなくなるとして小牧ダムの建設中止を求める仮処分申請を行いました。

後に電力側と飛州木材側が衝突する庄川流木争議(しょうがわりゅうぼくそうぎ)という騒動となりました。

庄川水力電気側飛州木材側が衝突し多数の負傷者が出てしまうが、1933年8月12日に日本電力、庄川水力発電、神岡水力発電(北陸電力の前身)が飛州木材への経営参画などを柱とする内務省和解案を受け入れて長年にわたって続いた騒動は終結したそうです。

庄川流木争議においては様々な人物が題材として記しています。

主なものとして、高見順の短編小説『流木』(1937年)、三島由紀夫の短編小説『山の魂』(1955年)、山田和のノンフィクション『瀑流』(2002年)など。

反対に、小牧ダムが作られたことによって産物されたものもあるようです。

現在のR156号線の先駆けの道路が格安に整備されたり、きれいな景色の庄川狭が出来たことで、遊覧船観光産業が生まれました

Wikipediaより

 

ライブカメラもあるようです。

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R156沿いに、駐車場があり、ダムの堤防の上を歩くことが出来ます。

ちなみに、R471からも立ち寄ることが出来ます。

この日は、ダムのゲートが3か所開いており、放水されていました。

 

真上からみると

撮っていて気持ち悪くなるほど高い位置ですが、景色はきれいです!

 

ちなみに、貯水量があまりにも多いと、全開することもあるようです。(日本ダム協会HP参照

 

これから紅葉の季節になって、ダムからの景色もきれいになってくると思います。

みなさんもぜひ小牧ダムに行ってみてはいかがですか?

小牧ダム
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